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《2022秋冬保存版》
サーラのおすすめ

Interview《巻頭特集》匠インタビュー

「サーラのおすすめ」巻頭特集である、匠インタビューをご紹介いたします。

人×時流×信念によって生まれた
魚の匠が造る「うなぎの刺身」

「一国一城の主になる」という覚悟が作りあげた、浜松ならではの一品「うなぎの刺身」。
出会いに感謝し、自分の勘と舌を信じ、時代の先を読み、ゆるぎない信念を持って歩み続ける浜松で人気の魚料理専門店「魚魚一」の仲村健太郎氏に、お話をうかがいました。

「一国一城の主」を目指して

僕は、飲食業とは無縁の普通のサラリーマン家庭に生まれました。初めて飲食業界に関わったのは高校1年の夏休み。某ハンバーガー店のアルバイトです。ここで接客業の面白さを覚えた僕は、翌年の夏は喫茶店で、ドリンクやフードを作るまでに。考えてみると、それが包丁を持ってまともな調理をした最初でした。
卒業後は調理師専門学校に進学。正直なところ、大学受験に失敗したからしかたなく…でした。なかなか本気になれない僕に、ある日、先輩が「このまま料理人になるなら、用意されている道はふたつ。組織の中の料理長になるか、一国一城の主になるかだ」と話してくれて、そこで腹が決まりました。僕は組織の一員は合っていない…「どうせなら一国一城の主になりたい」と答えました。「それならとにかくいろんな場所を経験して、いろんな料理・人・ものを見てこなきゃダメだ」というアドバイスに、卒業後は、京都の高級料亭、ホテル、小料理屋など、様々な店で修行をしました。そんな中、26歳で大きな転機が…。

ある日、調理師会から呼び出され、香港のホテルの和食店への派遣の話があり、もともと海外志向が強かった僕に声がかかりました。いざ現地に行ってみたら、来店客のほとんどが西欧・米国・中国圏の方々。昼は調理場で広東語を、夜はアイリッシュバーに通いつめて英語を、これは楽しく覚えましたね(笑)。何よりラッキーだったのは、日本では絶対に教えを乞うなどあり得ない超一流の料理人から、和食・寿司・鉄板焼の直接指導が受けられたこと。しかも、僕は即戦力として派遣されているので、寿司だってすぐ握らせてもらえるし、鉄板焼のすごい技だって、ハイやってみて…ですよ。あまりにも楽しくてそのまま4年も滞在。北京の2号店の立ち上げメンバーにも選ばれ、北京を無事に開店させて戻ったのが香港返還の1997年です。それも契機となって帰国を決意しました。

浜松で魚を極め、地盤を固める

浜松に戻った僕は、ある方からの勧めで魚屋になりました。春夏秋冬、市場に買い付けに行き、魚の目利きはもちろん、仕入れ、仕込み、飲食店への配達までやるんです。でも、ここ浜松で商売していくのに必要な人脈やノウハウはそれで身につけましたね。その後、さらに飲食店の従業員としてしばらく働き、31歳にしてついに「魚魚一」のオープンに漕ぎつけました。
当時、飲食店は1階が常識。階段で3階に上がるなんてあり得ない、しかも魚だけなんて…周囲は呆れていました。でも、初めてここを訪れて、まだ鉄骨と階段と床だけのビルに立った時、なぜか「これはイケる」って思ったんです。しかも、ここは鮮魚店の跡地だったそうで、魚町通りの魚屋跡地に建つ「ペッシェ(イタリア語で「魚」)ビル」にある魚料理専門店…面白いでしょ。東京で流行っていた、こだわりや個性を持つおしゃれな居酒屋「和風ダイニング」というジャンルを目指しました。そしたら、この界隈で他にも2店舗、似たような店が同時期にオープンして、「魚町通り」を、オシャレな最先端グルメスポットとしてメディアがこぞって取り上げてくれて。さらにインターネットのグルメサイトも、やっと地方まで広がってきた時期で、すぐにパソコンを買ってホームページを作って登録しました。浜松どころか中部圏のアクセス数トップも獲得。人に恵まれ、時流にも助けられての船出でした。

「魚魚一」って名前は家内の命名です。お魚のことを子どもが「とと」って言うでしょ。でもこれ、ととって読めるかなぁ…という私に、家内が「最初はぎょぎょいちでも何でもいいの、一度で読めないからこそ一度聞いたら忘れないでしょ」と。ちなみに「一」は魚料理で一番になるという意味の「一」だそうです。

「うなぎの刺身」はうまい!けど…

「うなぎの刺身」に着手したのは約10年前。地産地消が叫ばれる中、いろんなジャンルの飲食店オーナーを集めて、浜松の食文化を盛り上げるため、地元の食材で新たな名物を開発することになりました。そこで、うちはうなぎ尽くしのコース料理を考えてみました。そうしたら、刺身だけが唯一できなかったんですね。これは「うなぎの血液には毒性があり、生では食べられない」という料理界の常識があるから。でも、魚専門に十年以上やってきた僕としては、うなぎもプロの料理人の適切な衛生処理と、鮮度さえ守れれば刺身になるはずだと思いました。厚労省や保健所の資料を読みあさり、何度も問い合わせながら、まずは試行錯誤でやってみました。いざ食べてみたら、これがうまい!うなぎ特有の甘みのある脂がじわっと広がり、食感も抜群。なぜ今まで誰も試さなかったんだ!と思いましたね。
でもそこからが勝負でした。「頭おかしくなりました?」と従業員でさえ箸もつけない。ご贔屓の常連さんに試食で出しても首を横に振る。刺身用のうなぎは下処理だけで数時間。オーダーを受けてからでは間に合わないため、注文がなければ廃棄。高い食材を苦労して準備しては無駄にする、の連続で従業員は猛反対。心が折れそうにもなりました。でもやめたくはなかったから、あとは信念だけです。なんとか粘り勝ちで「おいしい」と言わせるところまできても、売上げにならない…。そんなジレンマの中でも「うなぎの刺身」を商標登録しました。ネット、紙媒体と宣伝もしまくりました。だって、もし成功させたら僕はパイオニアとして料理界に名前が残せるんですから!
そんなある日「おたくでうなぎの刺身食べられるんだって?」と訪ねてきたお客さまがいたんです。

「うなぎの刺身」が晴れて全国に!

その方は東京在住の食のブロガーさんでした。新しいモノを面白いと受け入れてくれる東京からの“逆輸入”的なこの情報発信が、大きな風穴となり、2015年には、静岡県の県知事が発足した「ふじのくに新商品セレクション」で金賞を受賞。県が公に「うなぎの刺身」を認めた瞬間です。以降、全国のコンクールにも出品、受賞などを重ねていたら、今度は、ぜひ通信販売してほしいというリクエストが!
そうか、下関のふぐも通販できるんだから…と、試しにやってみると、うなぎは冷凍に向いている(解凍してもおいしく食べられる)ということが判明。何よりフードロスも解消できるということで、覚悟を決めて新たな専用工場を作り、専用の職人を置き、物流も強化して通販をスタート。おかげさまで、このコロナ禍にあっても、全国からご好評をいただいています。

今は、誰でも当たり前においしいものが作れるし、投資さえすれば店だって出せる時代。だからこそ、うちだけの何かを光らせないと…。店の従業員には「店の広告塔は俺がひとりで引き受けるから、君たちは魚魚一の料理を楽しみにくるお客さまを増やして、自分のご贔屓客を作ってほしい」と言っています。
通販も一緒。ゼロからここまで、信念を曲げずにたどりついた本当においしいものを、正しく提供するため、素材と手間を惜しまずお届けいたします。

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